おしるこさえ作れない

会社を8ヶ月で辞め、海外にいる人のぼやき。

仕事を辞めて、一年、まだ一年か。

【2019年11月14日】

 

私が仕事を辞めて一年が経った。

 

たか一年されど、一年。

転職活動をせず、ふらふらしていた私が、一年間の間にどんなことがあったのか、

出来事と心情と共に振り返っていきたいと思う。

 

このブログは一年前の私に「こんなことがあったんだよ」と語りかけると共に

今仕事で辛い思いをしていて

 

「やめようかどうか悩んでいる」

「とにかく今の状況から逃げたい」

 

という人に向けて書きたい。

 

これが8ヶ月で仕事を辞めて一年間ふらふらした私のストーリーだ。

 

2018年11月

 

私は新卒で入社した会社を8ヶ月で辞めた。

次なる目標も特になく、逃げるようにしてぽこっと辞めた。

不安がなかったといえば嘘になる。

でも、社会に合わせていきていく心苦しさと周りに合わせることで

自分がなくなっていく口では表せないこの、感覚が、私には耐えられなかった。

 

周りが我慢できていることが我慢できない自分が大嫌いで、自分で自分のことを責め続けた。

 

「なんでみんなは我慢できることが私には我慢できないんだろう?」

「なんでみんながそつなくこなせることが私にはできないんだろう?」

 

毎日毎日そればかりを考え、周りと自分を比べ、そんなことを考えながら満員電車に揺られる日々。

 

仕事を辞めるまでに2回倒れるくらいには病んでいたし、当時の私は多分、うつ状態手前までいっていた。

 

 仕事を辞めた3日後には「サイハテ村」という、

「電気ガス水道が止まっても笑っていられる暮らし」を提唱する熊本の山奥でウーフ生活を始めた。

 

理由は簡単で

「住んでいたシェアハウスに住んでいたオーナーに勧められた」

ということと、

「お好きにどうぞ」

というサイハテ村のコンセプトに心惹かれたから。

 

当時の私は「会社員」というどこからどうみても「お好きにどうぞ」からかけ離れた日々を送っており、その言葉を見た時「お好きにどうぞでできている世界観に飛び込んでみたい!」と心底思ったのだ。

 

実際サイハテ村には(詳しい紹介記事は過去記事にあります!)

・自給自足の生活(野菜やお米だけでなく、お肉も)

・なんでも自分たちでつくりあげる

・山奥で協力しあって暮らす

 

など、私の経験したことない世界が広がっていて、毎日そこで生きているだけで刺激的だった。

 

 その時の自分は「とにかく周りの目が気になる」。

「今話している相手は自分のことどう思っているんだろう」

「目の前の人に嫌われたくない」

 

この感情が私を支配していた。

多分その時期に相談に乗ってもらっていた人には話していたかもしてないが

とにかく、周りからの評価が気になった。

むしろ、それしか気にならなかった。気持ち悪いほどに。

 1ヶ月のウーフ体験を終えた私は、東京へ戻る。

「これをやる!」って決めることができず、ニートに。

でもね、寝れないの。笑

ニートになる前の自分は

「気楽そうでいいなー」「あー、ニートになりたい」

って思って生活していたけど、いざニートになると

「将来が不安すぎて」

寝れないの。

 

仕事を辞めたことを後悔しているわけじゃないけど、だからと言って

「これがやりたい!」という目標を決めて辞めたわけじゃないから、

「何がやりたいだろう?」「これからどうやって生きていこう?」って不安で仕方なかった。

今まで、「これをやっていればとりあえず大丈夫」という(受験とか就活とか)世界でした生きてこなかった私にとって、人生の枠組みを自分で決めるなんてできっこなかった。

できる人も一定数いるかもしれないが、少なくとも私には無理だった。

 

やろうと思えばなんでもできる時代。

そんな自分の運の良さを呪った時もあった。

自分次第で何にでもなれるわくわくと、自分次第で奈落の底に落ちていく怖さ。

12月はそんな自分の弱さと恐怖と向き合わなければならない1ヶ月だったよ。

 12月、伴う恐怖と共に考え抜いた結果

「まだまだ新しい世界を見てみたい」

「でも、なにも職業がない状態で、世界にボーンって飛び込むのは怖いな…」

「だったら、PCひとつで身につけられるスキルを身につければいいんじゃないか?」

「そうだ、ライターになろう!」

 

かなり軽い気持ちで、ライターになろう!と決意。

でも、そんなん簡単になれるわけなく。

マイナビバイトで応募しまくっても書類審査で落ちるか、面接で落とされる、

という日々を送っていた。

 

お金もどんどん目減りしていくし、その当時リリースされたばかりの

「タイミー」という日雇いバイトアプリでアルバイトしていた。

(バイトはしたいけど、特定のバイト先に雇われたくない!好きな時に働きたい!

という時には本当におすすめなサービス)

 

そんな日雇いバイトで日々を消耗していた時に

「旅行サービスの運営サポート」という案件を目にし、

「楽しそーう」という単純な理由で応募。

そこが私のライター人生の一歩になるとも知らずに。

 

 実際、職場に足を運んでみると、そこでやった業務は「メディアの運営サポート業務」だった。

業務をしながら、「文章を扱う仕事かあ、こんな仕事したいなあ」とぼんやり考えていた。

その矢先、ある社員さんが「ライターが足りない」とぼやいているのが聞こえ、

次の瞬間には手を上げて「ライターやりたいです!」と立候補していた。

 

その話はトントン拍子で進み、その日に雇ってもらえることが決まった。

願ってれば叶うのか?自分の運の良さに感動したし、未経験の私を雇ってくれることへの感謝でいっぱいだった。

 

半年間、その会社をと詰めた後、私はフィリピンに渡る。

ずっと前から、「海外で働いてみたい」と思っていたし、英語が話せないのに海外に行けるチャンスは早々ないと思ったから。

 

4ヶ月はあっという間で、フィリピン人の彼氏まで作って、10月の末に日本に戻る。

 

 その間にもたくさんの人に出会った。

会社やっている同世代、大きめの会社の社長さん、信念持って行動している友達。

なんでかわからないけど、本当に色々な人種の人に出会ってきたと思う。

 

 向こうはどう思っているかは全くわからないけど、私はそんなみんなが心から愛おしいし、

出会えて良かったし、身近で応援できることが本当に嬉しいんだよね。

 

見たことのない、知らない世界に連れて行ってくれるみんなに心から感謝と敬意を感じる。

 私は私にできることをひとつづつ、着実にやっていく、それだけ。

いつしか、私は自分と周りを比べ無くなっていた。

理由はわからない。

それは、私にとって、悪夢からの解放で、幸せで成長なのよ。

 

これから、どんな幸せと困難が待ち受けているんだろう。

わからないけど、きっと大丈夫。